40年という歳月は、長いようでいて、ひとつの季節の移ろいにすぎないともいえる。 光善寺の本堂を屋根替えした折、実に多くの方々が懇志を寄せてくださった。 その名を記した板が、いまも本堂の壁に静かに掛かっている。 地区と名前だけを墨で記した、飾り気のない板である。
一昨日、台湾とスイスからの客人がその板を見上げ、「寄付額順に並べず、金額そのものも書かない。すばらしい」と言った。 その言葉に触れたとき、私は40年前に役員たちにていあんしたことを思い出した。 金額を記すべきか否か。
反対はあったが、最後には「記さない」ことを決めたのだった。
以来、光善寺では懇志の額を公に書き出すことをやめた。 人の心は、数字ひとつで揺れ動く。 ある者は肩身を狭め、ある者は誇りを抱く。 そうした感情が、寄付という清らかな行いに影を落とすことになるのは忍びない。
だから、ただ名を記すという静かな形にとどめた。 そこには、金額では測れぬ人々の思いが宿る。 本堂の壁に掛かる墨書きの板は、その思いをそっと受け止めた印のように、今日も変わらず佇んでいる。