5月という月は、人を外へと誘い出す力をもっているのか、 気がつけば連日のように行事が続き、予定表は次々と埋まっていく。 その多くは、人と人との縁によって形づくられた約束ごとである。
10日もそんな日々が続くと、 心のどこかに小さな澱のようなものが溜まり、ふとした拍子にストレスとして顔を出す。
人間とは勝手なもので、 自ら約束した予定であっても、追われると自由を奪われたような気分になる。
しかし、あるとき思い直した。 この時間を、ただ受け身のまま過ごすのではなく、 こちらの側から意味づけてみよう、と。
たとえば法事の日。 それを単なる務めと見るのではなく、 「新しい形の法事とは何か」を考える機会と捉えてみる。 会合に出る日もまた、 面倒な集まりではなく、人々の人柄や考え方を知る、 いわば小さな「人間学」の講座と思ってみる。
無駄な時間など、本来この世には存在しないはずだ。自分が有益とか無駄と思うだけなのだ。
大切にするとは、 その時間を主体的に生きるということである。 時間が人を動かすのではなく、 人が時間に意味を与えていく── そんな当たり前のことを、 5月の忙しさがそっと教えてくれていた。