かって、「経営者になったつもりで考えよ」とか「縦割り意識を捨てよ」といった言葉が、まるで戦場の号令のように叫ばれていた記憶がある。人に意識の転換を促す言葉は、時代がどれほど移ろおうとも、形を変えながら生き残る。「当事者意識をもて」「自分事として関われ」などというのも同じだ。
しかし、こうした言葉は、なにもビジネス界だけの専売特許ではない。 先日、お寺にお見えになったお客様が、「これほど広いお寺を、どうやって管理しておられるのですか」と尋ねられた。管理といえば、組織論や効率化の話に流れがちなところだが、私はふと、もっと素朴な答えが口に出た。
「家人第一で行動しているからだと思います」
家人が「ちょっと手を貸して」と声をかけてきたとき、たとえこちらが何かを手掛けていようとも、私はその手を止める。集中力が途切れるとか、作業が遅れるといった損得勘定は、そこでは一切働かない。 家人の仕事は、すなわち自分の仕事である――そう思うからだ。
この習慣が身につくにつれ、お寺の管理という営みは、いつのまにか家人を中心に豊かに回りはじめている。掃除、お花、お茶―話題も増え、作業の風景にもどこか温かい連帯の気配が宿るようになった。
考えてみれば、これは「当事者意識をもて」という言葉の、もっとも素朴で、もっとも人間的なかたちに思える。ビジネス本には載らないが、暮らしの中で育っている「当事者意識」だろう。 お寺という場は、そうした人間の営みを、ふと気づかせてくれるのだ。