人間というものは、古来より「三毒の煩悩」を抱えて生きてきた。 貪欲・瞋恚(怒り)・愚痴──この三つである。 よほど人間の営みに深く根を張っているとみえ、あまりにも日常的すぎて、誰もが自分の中にそれを見つけながら、 「まあ、そんなものだ」と見過ごしてしまう。
しかし、仏教はこの三つを「毒」と呼んだ。
毒とは、体に入れば命を損なう。 煩悩もまた、心に入れば人を迷わせ、 やがては自分自身をも傷つけるという意味であろう。
貪欲とは、欲しいものに手を伸ばす心である。 それ自体は人間の自然な営みだが、 自分ファーストの思いが肥大すれば、 周囲との関係はたちまち歪んでしまう。 歴史をひもとけば、国を滅ぼしたのも、 家を傾けたのも、多くは権力「欲」の暴走であった。
愚痴とは、物事を俯瞰できず、 自分の感情の狭い枠の中で世界を見てしまう状態である。
相手の気持ちを想像する余裕がなくなり、 社会の流れも見えなくなる。 仏教でいう「無明」の影が、 心に忍び入っている姿でもある。
そして怒り。 これは火のようなもので、 一度つけば周囲を焼き、 最後には自分の心までも焦がしてしまう。 怒りの火種は、自己中心の気分があるかぎり、 決して消えることはない。 歴史の中で、怒りが人を誤らせた例は数えきれないほどある。
こうして見ると、三毒とは、 人間が人間であるかぎり逃れがたい、 まことに厄介な代物である。 「コントロールしよう」と意気込むほど、 かえってその影は濃くなる。 仏教が教えるのは、 まず自分の煩悩に気づくこと── その小さな一歩である。
煩悩を断とうと力むのではなく、 「ああ、また出ているな」と気づき、 その正体を見つめる。 すると不思議なもので、 毒は毒のままに、 人を育てる縁にも変わっていく。
仏教とは、そうした人間の弱さを 否定せず、抱きとめる智慧の道である。