家というものは、そこに住む人の気質が、知らぬ間に風景として表れる場である。 先日の午後、家人が急に洗車をすると言い出した。 家人は、生来のきれい好きで、庭の雑草が風に揺れるのを見て、どこか心の端がざわつくようだ。
それは、私などよりはるかに高い清潔の尺度を持っているということで、そうした几帳面さが家の空気を整えてくれているのだと、私は感謝している。
数日前、買い物に出かけた折のことである。 駐車場に並ぶ車列を眺めていた家人の目が、ふと自分の車に向いた。
先日来続いていた黄砂が、うっすらと車体に積もっていた。 その薄い膜のような汚れが、どうにも許しがたかったのだろう。 帰宅するや否や、家人はためらいもなくホースを手に取り、洗車を始めた。
好意で洗車をしてもらっていた工場がなくなり、最近は有料で洗車を頼むようになっていた。 「軽い汚れなら、まあいいか」と、どこかで諦めていたように見えた。
世の中がどれほど便利になっても、人はなお、自分の手で自分の世界を整えたいのだ。
暖かい季節に限られるだろうが、家人は自ら洗った車を見て、 どこか満足げであった。