本願寺には、古くから親しまれてきたロゴがある。 それが正式なロゴマークなのか、あるいは家の紋に連なるものなのか、定かではない。 ただ、暮らしの中に自然と溶け込み、寺院の風景の一部となってきたことだけは確かである。
「下り藤」と呼ばれるその紋は、藤原氏の家紋に由来すると聞く。 親鸞さまが藤原の一門に連なるお方であったことから、いつしか宗門の象徴として用いられるようになったのだろう。 歴史というものは、こうした由来を静かに抱えながら、時代を越えて受け継がれてゆく。
ところが、その紋の中に「婦」の一字をあしらった印がある。 仏教婦人会連盟の標章として使われているらしい。 初めて目にしたとき、私はふと立ち止まり、なぜこのような印が必要とされたのかと考え込んだ。
かつては、寺院の活動も男女の役割が明確に分かれていた時代があった。 その名残として、婦人会という組織が誕生し、その象徴として印が作られたのだろう。
しかし、時代は移り変わる。 男女平等の意識が高まり、役割の境界が薄れつつある今日、あえて「婦」の字を掲げて区分することに、どこか時代からのズレを感じる。
違和感というものは、時代の風向きが変わったときに、もっとも敏感に現れる。 もし人びとが同じ風を感じているのなら、そろそろ見直す時期に来ているのかもしれない。
伝統とは、ただ守るだけのものではなく、時代に合わせて衣を替える柔らかさを持つとき、いっそう美しく息づくのではないか。