歩くという行為は、人間が太古より営んできた、もっとも素朴で、もっとも深い思索の装置である。一歩一歩 足を運ぶたびに地面から伝わる反動が、脳のどこか眠っていた部屋を叩き、扉が開いて「ひらめき」の光が差し込むのだろう。
哲学者や芸術家がよく歩いたという話は、歴史の随所に見える。 彼らは「歩きながら考えた」のではなく、「歩くからこそひらめいた」のだ。
散歩に出る前、わざわざ課題を胸に抱えて出かける必要はない。 むしろ、行き詰まった問題ほど、歩いているうちに、どこかでほどけていく。
歩くという行為は、時間の流れをゆるやかにする。 文明が加速度的に進む現代にあって、歩く速度は、あまりに遅い。 しかし、この遅さこそが、思索の余白を生む。 速さの世界では見落としてしまうものが、変速した世界では姿を現す。
歩くことは、いびつになった思索回路を正常にするための、もっとも偉大な方法なのかもしれない。そして、ひらめきというささやかな贈り物を届けてくれるのだろう。