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日記

お念仏申す身となる

宗派の活動方針に添えて、「ともにお念仏申す身となる」という言葉がスローガンに掲げられた。 この文字を目にしたとき、私はふと、古い本堂の正面に掲げられている山号額のことを思った。尊厳は感じるが、どこか時代の隅から持ち出して掲げているようで、馴染むにはあまりにも距離がある。

宗派は、「伝わる伝道」を目指すという。 だとすれば、この言葉はどうにも人びとの耳に届きにくいのではないか。 いや、それは私だけの感覚なのかもしれない。 しかし「お念仏申す身となる」と聞いて、期待されている行動を、すぐに思い描ける人がどれほどいるだろう。

業界で通じる専門の語彙というものは、しばしば外の世界に出た途端、急に色を失う。 それは、長い年月をかけて磨かれた言葉であるがゆえに、かえって現代語の風にさらされると重たく感じられるのだ。

「念仏しましょう」 「仏名を称えましょう」 あるいは「ナムアミダブツと声にしましょう」、という言い回しなら、行動の姿がすっと立ち上がる。 念仏とは本来、生活の息づかいの中にあるものだ。 それを伝える言葉が、現代の人びとの呼吸に合っていなければ、せっかくの教えも遠くに霞んでしまう。

スローガンというものは、時代の空気を吸い込みながら生まれるべきだ。

苦心の末にひねり出された一語には、たとえ短くとも、未来へ向かう力が宿る。 今回の言葉には、その“苦しみ”が見えにくい。 古い蔵から取り出した看板を、そのまま掲げ直したような印象を受ける。

もう一度、現代という風土の中で言葉を耕し、 新しい響きをもったスローガンを創り出してくれることを期待する。 そう思うのは、私自身も、この時代にどう生きるか苦悶しているからだ。

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